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2021.04.28

エリート会計士から一転、ゼロから始めるピーナッツバターの想いとは!?

こんにちは。空き家買取専科の鈴木です。

静岡県を中心に地域発展や面白い取り組みをしている「ひと」を紹介していくその名も「しずおか愛」

私たちは不動産を使って循環をテーマに仕事をしています。古き良きものは今の時代にアップデートして使っていく…

ここ静岡県にはひかる原石がたくさんあります。

空き家もひかる原石です。

今回は紹介するのは杉山孝尚さん。

浜松から生まれた「世界一の落花生」を再び蘇らせようと奮闘する杉山孝尚さん。

ニューヨークでたまたま見かけた新聞で1904年のセントルイス万博で金賞を受賞し世界一の名声を得た落花生、「遠州半立」を知る。

それから受け継がれなかった「忘れ去られた落花生」をアメリカで親しんだピーナッツバターに「進化」させるべく、7年前に全てを置いて帰国。

 

ノーカット版インタビュー動画はこちら
※動画が長いので、2倍速で見るのがオススメです。

〈聞き手=鈴木一央(空き家買取専科編集者)〉

 

     
200グラムの落花生から始まったピーナッツバター作り。
アメリカで競争社会を生き抜いてきたエリート会計士から一転
農業に惚れ込んだ杉山さんの波乱万丈な人生を探っていきます。

 

高校卒業とともに渡米!ダンスで食べていくことを夢に。

アメリカに行くきっかけはなんだったんですか?

ダンスで一人前になるならアメリカに行こうと決めたのが高校2年生の時。それこそ第2次ダンスブームだった時代。EXILEのアキラくんが浜松で踊っていたり、ヒロくんも。

僕も高校生の時にダンスにハマっていて、遠鉄百貨店のショーウィンドウの前や新浜松駅の下でストリートダンスをみんなでやっていた。高校を卒業してからアメリカへ行ってダンスをやろうと思ったのがきっかけだね。

高校生の時に海外でダンスをやろうと思う人が少ないと思いますが、なぜ行こうと思ったんですか?

自分自身、色々な場所でダンスパフォーマンスをしたり大会に出ていて、正直「イケイケ」だと自分で思っていたし、「自分が一番上手い」と思っていた。その当時は日本でやっていても上手くならないから「どうせダンスをやるならアメリカへ行って夢を叶えよう」と思っていたのが高校2年生の時。

そこからバイトをしてお金貯を貯めて、アメリカに行く準備はしていたかな。

昔からイケイケだったんですね(笑)。

そういった夢を叶えたい!や、成し遂げたい!という気持ちは小さいころからあったんですか?

いや、小さいころはなかった気がする。

だけど、色々な場所に親父の仕事の関係で転勤をしていたから幼なじみもいない。仲良くなったら転勤する生活だったね。

小さい頃から転勤していた環境が、チャレンジ精神や夢を叶える力に繋がっている?

それは関係していると思う。落ち着きがない子どもだった。新しい友達も作らないといけないし、新しい環境にも慣れないといけないし、適応力は培われたと思う。

ダンスが夢中になったきっかけがあって、とてつもない自信がアメリカに行く決意に繋がったということですね。

というよりやりたいことがなかったかな。通っていた高校が進学校だったから、みんな大学へ行くけど自分は大学へ行く選択肢がなかった。センター試験だけは受けたけどね(笑)。ダンスで食べていくつもりはなく、ダンスが上手くなりたい、ダンスで輝いていたいという気持ちが強くて、それだけでアメリカに行く決断はしたね。

9.11があった年に渡米

ワールドトレードセンターのテロがあった年だね。9.11にテロがあってその2ヶ月後に渡米している。

その年にアメリカに行くのは貴重な経験ですね。どんな状況でしたか?

それこそニューヨークに行ったから、戦争の後という印象だったね。ワールドトレードセンターはビジネスが盛んな街にあるから、他にもビルがたくさん建ってる。ビルが倒れるのはわかるけど、ビルが抉れてるんだよね。ホテルや家があったビルだから、肉眼でベッドが見えてて、ほこりも凄いし写真や花束が置いてあったから、その場所を見ると心が動かされた。大切なことに気づかされたね。とても良い経験になった。

ダンサーから一転、会計士になるきっかけとは?

ダンサーから会計士になるきっかけはなんだったんですか?

アメリカでは最初にダンススクールで練習をしながら、オーディションを受けていたんだよね。初めに受かったオーディションがCMのダンサー。いくつか受かったけれど、ダンス一本で食べていくのはなかなか難しい。バイトも掛け持ちしながら生活をしていた。

やっぱりプロの世界はなかなか厳しいんですね。どんなバイトをしていたんですか?

日本食レストランのデリバリーをやっていた。色々な会社に弁当を配達する仕事をしていた。50個とかをリュックに入れて運ぶんだけど、重たい弁当を運んでいたね。そのバイトはフルコミッションだったから売れなかったら給料はゼロ。1個売れたら1ドル報酬がもらえるという条件。どの弁当を何個持っていくのは自分で決める。

ベンチャーの営業のような仕事ですね。。。バイトだけどその条件は日本では考えられませんね。

そうそう。日本の現地企業にピンポンして突撃訪問して「弁当売らせてもらえませんか?」って聞いて開拓して行ったね。日本人だから日本の弁当を食べたいんだよね。6ドル、7ドルで弁当を食べられるから良いよってなって売らせてもらってた。OKになると会社に行ってカフェがあるから弁当を広げて「おはようございます。〇〇弁当で弁当を売りに来ました」なんて言いながらたくさん人が並んで買いに来てくれる。販売が終わって帰ると売った分だけの報酬をその日に貰うっていうシステムだったね。売れる日は70個くらい売っていたから午前中だけで7000円稼いで、かつ、自分が食べるお弁当を昼と夜の分をもらっていたから、その食費も浮くから自分の中では割に合う仕事だったね。午後からはダンスの練習をしたり、夜はレコード屋さんでバイトをしてたね。

ダンスの練習もしながらバイトを掛け持ちして生活をしていたんですね。夢を追う人の生活ですね。

そこからレコード屋の本社で人が足りないからって言って手伝いに行くようになった。そこは著作権を扱う部署で弁護士がたくさんいるところ。数字の計算をする場所だったんだけど、弁護士に「数学ができる子だね」ってめちゃめちゃ褒められたんだよね。というのも周りがジャマイカの人が多くて、数字が苦手な人が多かったから褒められただけなんだけど(笑)。その上司の人に大学を勧められたのが会計士になるきっかけだったね。

21歳の時に大学に入るきっかけがあったんですね。日本の大学の勉強とは結構違いがありそうですね。

何を専攻しようかと思った時に数学を褒められたから会計学にしようと思って、1.2年は勉強頑張って3年目からはインターンを始めた。インターンをするのもハードルがあって僕が入ったところはハードルが高くて、5段階評価中4.9以上だったから必死だったね。無事にインターンで入れたんだけど、運が良かった。苦労した勉強は英語の文法だね。アメリカに3年もいると普通に英語は話せたし会話もできたけど、スペルが間違っていたりライティングができなかったりするのは試験が通らないから、そこは頑張って勉強をした。僕が行っていた大学は特にレポートやパネルディスカッションが多いから話す練習がたくさんあったね。

ピーナッツバターのきっかけとは!?

それからピーナッツバターのきっかけはなんだったんですか?

ウォールストリートジャーナルという日本で言う日経新聞のような経済新聞がきっかけ。僕は毎日6社くらいの新聞を読んでいたんだけど、日曜日に読んだウォールストリートジャーナルのテーマがピーナッツバターで、そこには遠州小落下が1904年に世界一を取ったと言う記事を見かけた。今まで自分が住んでいたところにそんなものがあったなんて聞いたことがなかったから疑ったよね。最初は千葉県と思ったくらい驚いた。調べてみると昔は千葉と浜松は落花生生産の2大生産地ということがわかったんだけど、

世界一のピーナッツで作るピーナッツバターを作ったらめちゃめちゃ売れるんじゃないか?

そして、それがめちゃめちゃ食べてみたいと思った。それがきっかけ。

新聞を読んでいる中で、そこまで思考が巡ったんですか?

そこまで巡ったね(笑)。次の日には友達に話してた。友達にはバカにされたけど一つ言えるのは「売れるよね」ということ。日本はピーナッツバターが市場としては大きくないけど、アメリカはとても大きい。アメリカのスーパーへ行くと棚一面にピーナッツバターが置いてあったりするんだよね。日本で言う醤油や味噌の種類がたくさん置いてあるイメージ。

アメリカではそんなにピーナッツバターを食べる習慣があるんですね。

そうそう。あと、アメリカって誰がアメリカ人?って言うほど、色々な人が住んでいる。肌の色、髪型、言葉、文化、宗教が多様だよね。特に宗教で無宗教って言うと、びっくりされる。その中で共通しているのは、みんなピーナッツバターを食べるということ。僕はピーナッツバターを食べるアメリカンカルチャーが刺激されたことの一つで、ここまで刺激されたピーナッツバターを世界一のピーナッツで作ったら、世界中で食べられるんじゃないかってわくわくしたんだよね。これは僕しかやらないなって思った。アメリカで最初にこれを発見したときはみんなやってるなって思ったけど、有給とかを使いながら日本に帰ってきたら実際は誰もやっていなくて、もはや忘れ去られてた。だからそれを1から復活させてピーナッツバターを作ってみたら面白いし、会計士は山ほどいるけどピーナッツバターを作るやつは僕しかいないって思ったんだよね。

確かにそのピーナッツバターを作る人は杉山さんしかいないですね(笑)。

僕も色々考えた。アメリカで結婚をしていたし、安定もしていたからマイホームを買う準備をしていた。グリーンカードの申請もしていたけど、ピーナッツを見つけてから色々なことが頭をよぎるわけ。アメリカで会計士をしながらできるんじゃないかとか、せこいことを考えていた。でも無理なんだよね。発見してから決断するまでに1年くらいかかったかな。有給を使いながら帰国して情報を集めたり、本当にできるのか計画を立てたりしていた。でも一番は「今、僕が会計士を辞めても何も変わらない」ということ。僕がやる仕事も違う会計士がやる仕事もそこまで変わらない。世界も変わらないし会社も潰れないって思った。でも世界一のピーナッツでピーナッツバターを作るのは、今僕がやらないと誰もやらないと思った。だからピーナッツバターをやろうと思った。

めちゃめちゃかっこいいですね。でも背負うものもたくさんあったと思うので、決断は相当大変じゃなかったですか?

全て失った。まず、アメリカの奥さんを失った。付いていけないと言われたけど応援はしたいって言ってくれたから離婚をした。だから10年近く積み上げたものをスーツケース一個で帰ってきたよ(笑)。全て置いてきたね。

改めて思いますが、凄い決断ですね。僕には到底できない…

本当にスーツケース一個で帰ってきたし、親父にも言われた。「腹決めてやるなら全て置いて嫁さんに渡して来い」って。

帰国してからゼロからスタート

一大決心して帰国をしたが、ゼロから始めるのは大変だったのでは?

まず、遠州小落下の種がないってことが発覚した。遠州小落下じゃないと僕がやりたかったことができない。大決断して帰国したのに、千葉から落花生仕入れてピーナッツバターを作っても意味がない(笑)。

確かに意味がないですね。

まずは種を見つけないといけないんだけど、それがないわけで。遠州産落花生はあるけど、遠州小落下はないんだよね。同じ落花生でも全然違うものなんだよね。そこから始まって、図書館やら何からいろんなところを回って昔の文献を探しまくった。1904年にセントルイスに出品したのが、遠州落花生協働組合と言う組合ということがわかって、その文献に載っている住所を調べて回ったりして。そこからこのピーナッツバターは始まった。住所がそもそもなかったり、既に川になっていたりして大変だった。でも唯一残っていた組合長の家系の人がその住所に住んでいて、たまたまその畑が残っていて一緒に行かせてもらったらそこに遠州小落下が残ってたんだよね。たった200グラム。

農業をやるつもりはなかった

そもそも僕は農業をやるつもりはなく、ピーナッツバターのメーカーになろうとしてた。遠州小落下を作ってもらって、そこから仕入れてピーナッツバターを作る予定だったんだけど、この200グラムの最後の遠州小落下を誰かに渡して失敗したら後悔すると思ったから自分で作るって決めてスタートした。

農業の経験はあったんですか?

全くないよ。鍬(くわ)も握ったことがない。ニューヨークではスーツを着てバリバリ仕事をしていたけど、畑の上では役立たずなんだよね。農地を借りることに苦労して農地を耕して畑にするところから始めた。トラクターもないから、ばあちゃんから鍬を借りて、1日中草むしりをして、ようやくできたと思ったらカラスがそれを食べちゃって無駄になったり、鳥の糞が畑を汚したりしてうまくできなかったり。果てしない農作業を2年くらいやったかな。3年目にしてやっとピーナッツバターができる分を確保できたからレストランのシェフと友達になってピーナッツバターを試作しながらやっていったね。

ピーナッツバターの味はアメリカで食べていたものを再現したかったのか、日本人に合わせた味に変えていったのか。どうしたんですか?

日本のカルチャーに合わせて作らないと流行らないと思ったから、それこそさっき言ったレストランのシェフに意見を聞きながら試行錯誤して作った。自分だけで判断するとアメリカのピーナッツバターになると思って、失敗すると思った。そもそも日本にはピーナッツバターがなかったからね。

前回話を聞いた帰りに早速ピーナッツバターを買いました。そのまま食べたら結構重くて、これがピーナッツバターか!という初めて食べたその味にびっくりしたんですが、こういう食べ方だと美味しいとかおすすめの食べ方はありますか?

1番のおすすめはスプーンにすくって食べる。レストランのシェフは調味料として使う人が多いね。ひき肉と炒めたり、ドレッシングに入れたりしているね。アメリカはトーストにジャムとピーナッツバターをつけてPPJって言うんだけど、日本でいうとおにぎり感覚でそれを食べてるね。

今後の展開

「忘れ去られた落花生」を復活して大切に育ててきたイメージを持つので、あまり売上拡大は狙っていないと思うんですが、これからの展開や目標があれば聞きたいです。

次の世代を育てることをしていきたい。子どもたちに伝えていきたい。今は小中高と講演会をやることが多いんだけど、農業を話してもつまらないから、歴史や食育、自分の経験を面白く伝えながらこの農業に興味を持ってもらうことを意識して話をしている。「農業ってかっこいいじゃん」って思えるような。農業をやってみて初めてわかったけど、農業は知的でめちゃくちゃクリエイティブ。しかも誰でも参入できて、初期投資も少ない。だからアイデアとノウハウがあれば形にできるからそれを伝えていきたい。

なるほど。農業が知的でクリエイティブはびっくりですね。

このピーナッツバターの種類はプレーン以外に他の味もあって、例えばみかん味は使うみかんをオーガニックって書いてあったんですが、そこにもこだわりがありますか?

そこにはこだわりがないけど、一つだけ守りたいことは環境を良くしたい、オーガニックの言葉が一人歩きをしていてオーガニックの名前が付いていたら良いものとかって思いがちだけど、実際に何を使っているかはあまり知られていない。

僕らは化学肥料は使わない。化学肥料は二酸化炭素を空気中に出すからあまり環境としては良くないと言われている。落花生栽培をするだけで、空気中の二酸化炭素を土に取り入れるから環境にも良い。肥料も化学肥料を使わず、蠣殻や海藻や米栽培に出る籾殻を使ったりするだけで栄養がある土ができるんだよね。

実は昔の栽培方法って理にかなっていて、そういったごみや産廃で燃やしているものが実は土にとても栄養を与えて捨てずに済むってことをやりながら栽培していたんだよね。

昔の人は知恵や感覚であるものを生かしながら理にかなった栽培ができていたんですね。

僕も循環型社会に興味があって、消費者もそれを求められているなと感じています。そういった意味で重なる部分が多く嬉しいです。

これからは野菜やお肉もオーガニックや有機というワードだけで買う時代ではなく、誰々が作ったなど信用した人から買う時代が来ると思う。

ITが進んで機械が作るか人が作るかの2択になると思う。有機やオーガニックというワードはもう古いと思っている。

僕は人が作る食べ物を買いたいし、その中で誰が作っているのかということも気にして買うと思う。それが食べ物を買う価値観が上がることだと思う。

日本とアメリカを比べるとアメリカの方が食べ物を買う価値観を持っている。アメリカ人は自分が食べる物をよく考えている。オーガニックというワードだけでは買わない。アメリカはどういう製法で作られていて、どういうもので作られているのかまで書いてあるんだよね。そこまで見る。

ストーリーを知るとより美味しく感じるし、僕らもその人が応援してくれるから毎年農業ができて、それを還元したくなる。何で還元するかっていうと、街を綺麗にすることや、街に花を植えることや、小学生の旗振り当番を積極的に引き受けたりしてる。ダンスをやってたから振り付けした曲をプレゼントしたりしてる。

こう言った形で恩返しさせてもらってる。見えないもので返すことが大切かなって思ってるんだよね。数値化できないことをどう感じるかが豊かさかなって思う。

日本とアメリカの違い

アメリカには「常識」という英語がないんだよね。アメリカだと似たような言葉はスタンダードって言葉があって、要は平均値。でも「常識」だと言葉が強いから外れたらダメって思いがちだよね。一つの箱から飛び出しにくい。それがなかなか新しいことへの挑戦ができないのかなって思う。

あとはこれがやりたいって思った時に、難しいとか成功できるかなって思う人はたくさんいると思うけど、まず、楽しさを取れって思う。アメリカ人は楽しいことをするのが大好きだから、仕事中でも楽しいことをやっちゃうんだよね。夏なんか15時に仕事が終わるからメリハリをつけて仕事ができる環境がある。

だからこのピーナッツバターが成功できるかなんてわからないけれど、楽しいからやっている。失敗も楽しいと思える。本気だから軌道がずれているのもすぐわかる。24時間365日ピーナッツのことを考えているし、それが情熱なんじゃないかな。この仕事はゴールや道がないから自分で作る楽しさがあるよね。「ピーナッツバターといえばこの会社」がまだ日本にはないからそれを作れると思うと楽しい。

杉山さんも本当に好きなことだから24時間365日頑張れるんだなって思います。かなり違いがありますが、どちらも経験した杉山さんだからこそ言える言葉の重みがありますね。

しずおかの挑戦している人や挑戦したい人へ

最後にしずおかで挑戦したい人や挑戦している人へメッセージをお願いします。

シンプルに言うと、今生きている価値を作って欲しいと思う。何も目的なく生きているんじゃなく、生きているんだから生きている価値を作ろうとしろ。その中で見つかってくると思うし自分のストーリーができてくると思う。人生の主役は自分なんだから、本に書けるくらいもっとよく考えて価値をつけること。そうすると引き出しが増えてきてなんとなく絵になってくる。

最初は鉛筆の下書きっぽい絵から始まって、それに色がついて、次に輪郭が加わって。そしてその人生をシェアして欲しい、発信して欲しい。今の若い人たちにはそう言ったことをして欲しい。

まとめ

挑戦への一歩は自分の代わりがいるか?と言うことと、楽しさへの追求が軸だと感じました。とにかく楽しんでいる杉山さんの姿は何か新しい挑戦をしている人や現時点で挑戦中の人への大きな勇気となると思うと誇らしいです!

1時間26分にも渡る長時間のインタビューに答えていただきありがとうございます!小さい頃から今までの苦労や未来まで濃密な内容となりました。波乱万丈な人生から一転、世界一を取る農業を初めて早7年。アメリカンカルチャーと日本のカルチャーをピーナッツバターで繋ぎ、その考え方や発想を次世代に伝えている杉山さん。「忘れ去られた落花生」を再び甦らせる浜松の伝説を循環するまさに成功例です!とても勉強になりました!

杉山ナッツさん情報

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